第1章 ミッシング・リンク 7つの光の評議会

george.jpeg第1章 ミッシング・リンク※


「はじめに神は天と地とを創造された(創世記第1章第1節)」。ここに記されている創造は、宇宙全体の継続的進化発展の一部の描写でしかない。過ぎ行くどの瞬間にも、新しいものが創られ、新しい命が生まれ、再生の環を作り続けている。
 上記のとおり、神は地球より先に天国を作っている。天空に存在するこれら天国に、神はすでに人を創造していた。何千年も前、地球がまだ人が住めるような環境ではなかった時代から、他の多くの太陽系の惑星上や、同じくこの太陽系の惑星上には、すでに人が存在していたのだ。

 「神は自分のかたちに人を創造された。(創世記第1章第27節)。」神は人を、地を這う獣から創られなかった。
 しかしながら、人が創造されたのは地球上ではなかった。人は、神のわざの器となるべく、何百万もの太陽系上に創造されたのだ。知的生命体が存在するのはこの惑星だけだと主張するものは、神の無限の完全性を否定するのだろうか。神の狭量なマインドが、創造力に制限を設けるとでも。
 アダムは一人の人物をさすのではない。地球に生息した最初の人類、アダム人種のことである。このことが、創世記第1章第27節に記されている。人間という種が、独自の創造物であること、そして「男と女」であると記述されている。次の第28節には、「神は彼らを祝福して」という記述がある。「彼」ではなく複数形「彼ら」である。神は彼ら(アダム人種の男性と女性の両方)に、「生めよ、ふえよ」と言われた。これらはすべてイヴについて語られるよりも前の出来事となっている。以上が、アダム人種が地球上に棲息し始めた経緯である。
 そして神は人を作り出すという創造のわざを完了された。同じく天と地とその守り手である「彼ら」を完成された(創世記第2章第1節)。ここから読み取れるのは、地球だけでなく天国にも生命が満ちていたということだ。だから神は「創造のわざを終わって(創世記第2章2~3節)」休まれたのだ。
 これはつまり、神が創造の作業を終えられてもなお、イヴについて語られていないということにはなるまいか。そう、聖書は厳密に、神がおこなった創造にのみ基づいているのだから。

※【ミッシング・リンク】失われた環(わ)。生物の進化・系統において、その存在が予測されるのに未発見のために出来ている間隙。鎖を構成する環にたとえていう。(『日本国語大辞典』より)
『7つの光の評議会』

ジョージ・W・ヴァン・タッセル著


西村理 訳)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です