夢にもいろいろある1(夢の定義)~夢見るアセンション第11話


akko20110129.jpgもう何年前になるでしょう。
教室で「コーチングとはなにか」を説明していたときのことです。「マラソンの高橋尚子選手と小出監督みたいに、スポーツの世界では必ずコーチがいて、ゴールに向けて一丸となって頑張るでしょう。それをビジネスや日常生活においても活用して、夢や目標を効果的に達成していこうというのが、コーチングなんです」。

当時はオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子ことQちゃんが活躍中で、私はいつもこのような例を引き合いに出していました。ところがこの時、すかさずある男性から突っ込まれました。「そんな大きな夢じゃないといけないみたい」と。

私は慌てて、「いえ、そんな意味じゃありません。あなたにとっての夢や目標でいいんです」とフォローしました。きっと、その男性は私があまりにも大きな例を挙げたので、敏感に感じて、引いてしまったのでしょう。

でも、こういう軽い拒否反応みたいなものはあり得ることで、その後も教室で、「夢を掲げて、特に成功したいと思わない」とか「夢というほどの夢はない」、「これといったものがない」など、きまり悪そうな声が聞かれたのです。なんでもかんでも夢のフィールドに入れてしまう夢見夢子の私にとっては意外なことでした。

そこでその背景を考えてみたのですが、「夢や目標をどう捉えるか」という定義が関わっているようです。もしかしたら「オリンピックで金メダルを取る」「ビジネスの世界でナンバーワンになる」など、華々しくて、崇高で、スケールの大きなものを人々は「夢」と呼んでいるのかもしれません。そして、その夢に向かって、血のにじむような努力をし、人々から称賛を浴びるような成功の軌跡を描いてこそ、本物の夢、本来の夢ではないかと。

もちろん、そういう全身全霊で取り組む夢もあります。「一生に一度叶えてみたい」とか、「この夢を果たせなかったら、死んでも死にきれない」というほどの夢をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

でも、私はもっともっと自由に解釈していて、ほら、お料理一つとっても、贅を尽くした宮廷料理から、ごくごく庶民的な家庭料理まであるでしょ。奥深く、バリエーションも豊かですよね。夢もそんなものじゃないかと思うんです。もちろん、規模が大きいとか小さいとか、人と比べてどうのこうのではありません。日常生活においても、仕事上においても、その人のニーズから生まれたものであればそれで十分じゃないかと。

そのことで、非常に印象に残ったエピソードがあります。それはある有名な女性漫画家がテレビに出演されたときのことでした。


(つづく)

前田アキコ


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