『時間軸の中に入る手法と時間の概念の変化』(その2)

tomy20101223.jpg(前回のつづき)

次に、先ほど一秒間に1回だった認識を、倍増して、一秒間に2回に増やします。ストロボが2回、発光する、もしくは、存在感を、二度、強める、という感じです。しばらくしてその感覚にも慣れてきたら、倍増し、4回にします。そして、段階的に、8回、16回、と増やしていきます。

16回までは、はっきりとストロボの回数や存在感が増した状態を認識し、その数をカウントできる状態にあると思います。その、数値が倍に増えていく方向性をはっきりと保ったまま、32回まで増やします。

一秒間に32回、カウントすることは難しいのですが、ばらばらだった音がひとつにつながっていくようなイメージで、連続したものとしてその状態を認識します。

ここから先は、そのときの感覚などにもよりますが、64回、128回と、増やしていくこともできます。状態の認識については、カウントをせず、連続したものをイメージします。段階的にそして、同じ程度にはっきりした意識でここまでのプロセスを踏むと、個人差はありますが、周りの時間がより緩やかに流れているのが感じられてきます。それが時間軸の中に入った状態です。

この状態で、日常の作業を行っていくと、さまざまな発見があります。スローモーションに近い状態で目の前に展開される日々の出来事は、くっきりと、そしてときに穏やかに、その対象と自分との関係性や、本質的な自分とのつながりを映し出してくれるでしょう。

この時間軸の中にずっと居続けることで、時間の概念がより柔軟になり、今までの時間軸とは違ったところで現実をとらえる事が可能になってくるかもしれません。時間と物理的空間は密接につながっていると考えられています。時間の領域で遊ぶことを、川の中で自在に動き回ることとたとえるならば、空間は、そこから見える風景であり、空であると考えられますし、ともすると、泳ぐだけでなく、いつしか川岸にあがってしまうことがあるかもしれません。

ついこの間まで、厳然と存在し、すべての物理現象の前提として存在してきた時間は、次元の上昇の気運とともにその概念が変化しつつあります。マヤの人たちが残した暦の終焉を示しているのは、こうした一方向の時間の概念が変化するということなのではないかと、最近はそんな風に思っています。

富田ショウ

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です