この「文明(シヴァ‐リゼーション)」(シヴァとはヒンドゥー教の破壊神)を持った人間は、破壊力のある科学を発展させ、危機的な状況になってしまった。国家は核兵器を持ち、地球上の全生物を消し去れる力を手に入れた。イヴという動物種が、権力を我が物としたのである。
これを見ていたアダム人たちは、地球の大気圏の薄い膜の汚染を「無効化」する船団を投入した。「グリーン火球群」と呼ばれるものである。この対策により大気中の放射線の濃縮を緩和することができた。アダム人たちは彼らの人種の一部の人々が地球上で破壊のサイクルを開始したことに責任を感じていたのである。今あなたには選択肢がある。あなたもまた創造者アダム人種として建設的な役割を担うのか。それとも、物質的なヒューマンとしてイヴの末裔の持つ破壊的影響に目を向けるのか。
アダム人種はスピリットと物質が組み合わさって形を成している。生命にはたくさんの形態があるが、魚類、鳥類、爬虫類、昆虫、動物、そして人間、すべて環境や生育状況によって変化するものである。人類とは、人が獣の特性に従った結果、堕落してしまった一種なのである。
物質とスピリットは同一のものである。単にそれぞれが対極に現れただけである。物質とは凝縮したエネルギー(スピリット)で、エネルギーとは、溶解した物質である。どちらも無限の空間の中で分極化しているもので、要は同一の形式に従っている。
空間とは、知性(創造的精神)、に満ちた無限の海であり、言い換えれば創造主が休まれている場所である。この知性の働きがいかに均衡の取れたものであるかは、あらゆる創造物を見れば明らかだ。「動き」を生み出すために、エネルギーの均衡を敢えて崩す必要があったまでである。
神の宇宙にある物や状態のなかで、反対の極を持たないものは一つとしてない。上昇があるところには下降があり、白があるところには黒が、夜には昼が存在する。
知識の樹を登りつめた者は誰でも、どの方向をみても必ずそこに二つの側面があることを知る。それは樹が両極を知っているためではなく、樹の頂上に達した者自身が、左と右の二つの側面を有しているからである。
神はすべてを二極に創造したため、その中央で休むことが出来たのである。神とは、安らぎのことである。
イエスは言った。「父と私はひとつである」と。これはつまり、彼が豊かさや貧しさ、国境や人種、境界や宗教と言ったものに目をくれなかったためである。彼は相対する二極の分岐点にあるニュートラルな位置にいたのである。イエスは誰の味方もしなかった。実際あなた方もどんな側にも味方しないほうがいい。神の通り道は、中庸なのだから。
火はあなたを暖めることが出来るが、破壊することも出来る。寒さは冷蔵庫には必要だが、人は寒いと不快になる。スピードはどこかに早くたどり着きたいときは必要だが、コントロールを失えば一瞬で死に至ることもある。
『7つの光の評議会』
ジョージ・W・ヴァン・タッセル著
(西村理 訳)
コメントを残す