完全な光、完全な闇
常に柔軟でいることは、アセンションを受け入れる準備になるとお伝えした前回の記事に引き続き、今回は具体的な〝思考のエクササイズ〟をご紹介します。
まず、思い起こしてほしいのが、光と闇という概念です。プラスとマイナスに置き換えて頂いてもいいのですが、物ごとには対極性があるのは皆さんご存じかと思います。
しかし、ひとつ注意しなくてはならないことがあります。それは、人間は対極性を絶対視するあまりに、本当の極がどこにあるのかを見誤る可能性があるということです。本当の極の場所をズレて捉えてしまいますと、スピリチュアル的な感性の強い方になればなるほど、そのズレ方も大きくなると思います。
具体的に説明しましょう。
地球には、昼と夜があります。昼と夜とは、光と闇のように分けて考えられがちですが、実は昼と夜は光と闇の完全な極みにはありません。
もし、昼が完全な光のなかにあるとすれば、昼間は青い空すら太陽並みに輝いて見えるはずですし、地表はその光の反射で何も見えないことでしょう。まぁ、熱を考慮に入れれば、その時点で地球が溶けているでしょうけれど……。
そして、夜は夜で、夜空には輝く星があります。星の瞬きとは、宇宙の彼方で光る恒星から届いた光のことですから、夜もまた完全な闇ではないということです。
本当の極
昼間の青い空も、夜の闇のような空も同じ宇宙空間なのですが、光量の「さじ加減」ひとつで僕たちの見え方、感じ方が変わり、昼と夜とを別々の状況として認識しているのです。この時点で、両極に位置すると思われた昼と夜の境目が、すこしだけ曖昧になってきていませんか?
昼と夜の絶対的な壁に亀裂が生じると、偉大なる太陽と、遠すぎて無関係と思われた星々の差も、あまりなくなってきます。太陽は太陽、星々は星々、ではなく、太陽と星々を同じ〝恒星〟というくくりで捉えても構わないことになるからです。
これまで僕たちは〝太陽〟をことさら神格化し、生命の拠り所としてきました。事実、太陽があるからこその地球生命なのですが、僕たちが地球に存在しているのは、果たして〝太陽〟だけのお蔭でしょうか?
太陽と地球の間にある、絶妙な〝距離〟のお蔭でもありますし、そもそも3次元の〝宇宙空間〟が存在するお蔭でもあります。そう考えれば、もし絶対的に尊敬するべき対象を挙げるとするならば、それは太陽のみならず、全宇宙にまでストライクゾーンが広がるはずです。
そしてその観点こそが、本当の極と言えます。本当の極とは、陰も陽も同様に尊敬し、言い換えれば全宇宙ごと愛してしまう観点です。つまり、極とは他でもない、僕たちの選択肢のひとつとして、すでに存在していたということです。この観点に達すると、自然と陰陽を一極に受け入れていることになります。これが、アセンションなのです。
誤解の無いようにお伝えしておきたいのですが、今回述べさせて頂いた観点とは、太陽を僕たち自身より低く見たり、太陽への感謝をしないことではありません。太陽だけをすがるものとして崇拝することは、その反対側に、すがる立場という概念を生み出しています。
そういったヒエラルキーが生む差とは、つまりは分離そのものです。もちろん差や分離は悪でもありませんが、とにかくこれからは分離から統合に向かうことが学びとなる時代ですので、太陽だけを特別視することは、太陽を含めた全宇宙が望んではいないのです。
まさか、こんなに太陽が!?
さて、では全宇宙を等しく尊敬し、太陽を特別視せずに一つの恒星として見たとき、あなたの目に太陽はどう映るでしょうか?
おそらく、「うわっ! 太陽、近っ!」と思うのではないでしょうか?
宇宙にある恒星のひとつが、めちゃくちゃ至近距離にある。それもそのはず、太陽以外の数え切れない恒星たちは、夜空では光の点にしか見えないのですから、太陽という恒星との距離が、奇跡的に近く感じるのです。
もし、太陽が至近距離に見えたとしたら、それはあなたが太陽を他の星々と離さず、分け隔てない観点で見た証です。この観点で見れば、2011年の初日の出も、いつもの年とは違って見えるかも知れませんね。
さて、2010年の僕の記事は、今回が最後となります。今年も一年間、ありがとうございました。サポートしてくださった全宇宙とご縁に、深い感謝を捧げ、締めくくりとさせて頂きます。それではまた来年、お会いしましょう。皆さま、よいお年を!
(ブラフマン・リー)
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