瞑想をはじめよう~第3回 「瞑想の種類」~ 


neo20110413.jpg今後数年はあらゆる種類の変化にさらされて
心は不安定になりやすくなるだろう。

でも、不安や恐怖からは
何も生まれない。

私たちは誰しもが霊的存在という前提で、
自分を見失わず、

今、この貴重な物質界変革の時期を
どういう心情を持って過ごすかは、

今後の地球の未来にとって
とても大事になってくる。

さて、

瞑想にも、
いろんな形があると思うが。

大きく2つに分けて
瞑想を紹介しよう。

1、動的瞑想

たとえば、スポーツなら相手となる人や自然など、
ダンスや音楽なら、音や場の空気などの
「自分以外の対象」に集中する。

集中がある一定のレベルを超えると
「自分」が消える瞬間がある。

よくニュースなどで大記録を出した選手が語る
「頭が真っ白で覚えてない」
これである。

この瞬間、深い瞑想と同じ状態になっている

そして選手は「自分は何かに生かされている」
と思うようになる。
言葉で言ったにしろ、言わないにしろ、
心の中で「永遠の泉」を感じたのだと思う。

ちなみに僕の趣味であるサーフィンも
歴代の偉大なサーファーが同じような
ことを語っている。

・・・ちなみに僕のサーフィン時の集中力
では、その境地は遥か遠くにある・・・。

どちらにしても、
体は疲れたけど、心は元気になるものは、

動的瞑想の一種だと思っていい。

2、静的瞑想

静けさの中で座禅を組んで行う、あれである
ここでの「対象」は自分の表層意識「マインド」。

しかし先ほども、
瞑想は自分「以外」の対象と言った。

そう、ここでは、

「自分の表層意識」を「自分と分けて」捉える。

わかりやすくいうと、
俯瞰的に自分を見るということ。

人の心はその人の根本的人生観や魂レベルなど
心の奥底で物事を考えている深層意識と、

日々の雑務や損得計算をこなす表層意識がある。

そう、マインドは=表層意識、

日々休むことなく動き続けている、
「自分のために計算する自分の心」のこと。

通常は人は、
マインド=自分になっている

それを休ませるということは、
自ら自分を消すことを意味する。

もし、
その「マインド」が一瞬でも

完全に止まったとき、
「永遠の泉」の存在を知る

深い安らぎを知り、
いままで自分だと思っていた存在
が自分の本質ではなかった事に気付く。

普通、仕事中や遊びでこのマインドは必要だし
よく働いてくれる。

しかし、寝る前やリラックスタイムなど、
深い休息をしたい時には
基本的に必要ない。

でも人は通常このマインドを休ませることが
できない。

なぜなら、

メディアや資本主義的日常が
日々休むことなく
マインドをあおっているし、

学校などでも、
マインドを日々動かすことを
小さいころから教育されているから。

「その一方で、
休ませ方は教えてくれない」

だから、
まるでコンビニエンスストアのごとく、
24時間休まずに活動してる

寝てる間も、夢の中でも「活動」している。

それは24時間心が休んでないことを
意味する。

なぜならマインドにもエネルギーは
必要だから、休息も必要だ。

個人差はあるけれど、
そのうち、心が疲れてくる。

心が疲れれば、体も疲れてきて、
全体的に疲れてくる。

心と体は一体だ。

だから、
まず、そのマインドを、
「自らの意思」で休ませられるようになることが、
第一歩だ。

そして完全に休ませられることができれば、
「永遠の泉」を見ることになる

・・・つづく

Yogi-Neo

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