そこはすべての人の
心の底で今この時も開放されている。
自分を保ち、今後の日本の困難を乗り越えるためにも、
ぜひ瞑想をマスターしよう。
瞑想とは、
基本的に文字どおり目を瞑って想うこと。
「瞑る」っていうのは、まぶたを閉じる意味、
「つまり対象を見ない」という意味。
「想う」っていう字は、心の上に相と書く。
相手を思うこと、
「自分以外の何かを思う」という意味。
人でも物でも、自分「以外」を思う・・。
そう、それは
自分以外を想うことで=「想」
自分を見ないようにする=「瞑」
つまり、
「自分以外の対象に集中する」ことによって、
自分を忘れる=消すってこと。
僕たちの心は、
波がざわついた海のよう。
それは自分に意識を向けすぎているから
かもしれない。
すべての人の
心の海の底には前回触れた、
「永遠の泉」がある。
波がなくなり、
海面を鏡のような静けさに保てば
それは見える。
けれど、通常
マインド(自分を思う心)が細かな風となり、
海面をザワザワと乱し、邪魔をする。
その乱反射で底を見ることはできない。、
だから、
そこの奥には底があるということすら気がつかない。
未来への不安や恐れ、
もしくは希望や期待、
日常の仕事、対人関係、、
・・ざわつく波はしかたがない、
自分を生かす為には
自分のことを思うのは自然だし。
ざわつく波がまったくないというのは、
・・不自然だ。
目指すべき理想は、
「その波のざわつきを自身でコントロール
出来るようになること。」
始まりもなく終わりもない
その泉は今この瞬間も、僕たちの意識の奥で
整然と水をたたえている。
自分を忘れようとした人のみが
それを感じ、見ることが出来る。
自分を忘れることが出来た人のみが
その泉の水に触れ、
そこから新たな価値観を知ることができる。
僕はこう思っている。
どんな形であれ、
人はいつか、心のどこかで、
この永遠の泉を求め、探し始める。
さて、
先ほど書いたように、
要は「自分のことを思う心=マインド」
を一瞬でも消せれば、
それは瞑想だ。
こう考えると瞑想にも、
いろんな形があると思うが。
次回は大きく2つに分けて
瞑想を紹介しよう。
(Yogi-Neo)
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