「あの存在」との人生–はじめての無我体験 あとがき

globes.jpg僕の意識は、普通に戻っていた。



超能力者にも聖者にもなっていなかった、


強烈な「記憶」だけ残して、夢のような時間は終わってしまった。。




だから僕は、

もう一度この意識状態、

愛に溢れた深い自己をもとめて、

人生の続きをはじめた・・・

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この体験からもう10年近く経過してる。


この後も至福意識な状態を
何度も体験したけど、

インパクトという点では、
この時の体験が一番強烈だった。


そして、
この当時の僕は若さと無知ゆえに、


何か自分は他の人より特別な存在ではないのか?


という、よくありがちな「特別感という魔境」に

アッサリと嵌った。


自分がその時点で正しいと思ったことを、

人に押し付けたりもした。


しかしそれは間違いだった。


誰もが同じく特別であり、個性があり、それに応じた役割があり、

存在する必要があって存在している。



10年たったいま、

この体験を振り返ってみて、



すでに記憶や知識として「存在」から伝えられていたことを

再確認するかのように、
その後の人生が進んでいる。

そこで色んな困難や間違いにぶつかって、
それを乗り越えて、

初めて身になっている。


強調したいのは、

僕の場合、「知識」だけでは、成長できなかった点だ。

そこには、「肉体を通した実体験」が必要だったということだ。

そして改めて「存在」が語ったことが
やはり真実だったことを身をもって理解しつつある。




根源は同じでも

人間として個別意識がある、


なぜか?


存在はこう言った、


「私は「新しい」経験を求めている・・」 


「表裏は一体で境界線はない・・・
見方によっていかようにも変化するもの」 


人の数だけ個性があり、

それぞれの「正しさ」がある、

方向性は同じ人もいれば、

反対の人もいる。

どちらにしても、

どこかは違う。



そしてそれは、時代とともに「変化」している。



たとえ「目標」は同じでも、

道が違えば、

多種多様な「過程」が生まれて、



だからこそ、

常に新しい経験が生まれる。


違った価値観があって初めて、

そこで新たな気付きが「生まれる」


だから、

お互いに必要な存在だ、


お互いが「鏡」として、新たな経験を

生んでいる。


そういう意味で、すべての意識は平等だと思う。



良いと思ってやってきたことも

あとから考えれば違うな、ってこともある。



そのために痛い目にもあったし、

いろいろと悩んだ。


そんなことの繰り返しだ、


そんなとき僕は
この体験を思い出し、


心の中にいる「あの存在」を想う。



「あの存在」のもとに

堂々と帰れるように生きよう!

そして

思いっきり泣いて笑って甘えよう。



正直にいうと、

この忘我体験だけでばっちり悟りが開けたりして、

霊的な故郷に帰れれば、どんなに良いだろうと思った。


でも、もちろんそうはならなかった。
逆にそんな楽なことでは価値がないんだ。

結局この体験で得たものは


基本的に、

「目指すべき方向性」と「そこに向かうきっかけ」だけだ。

あとは当人の自由意志次第・・。


それでも、それが示された今回の人生は貴重だと思っている。

こういったワンネス体験は今多くの人が経験している。

それはとてもありがたいことだろう。


でも、それだけじゃない。

表裏一体、ありがたいだけの事象はない。
それにはやはり「責任」が伴うと感じている。

それを実体験を通して最近特に痛感している。


もしそれでも、この内なる出会いを求める気持ちがあるならば
僕はその入り口まで案内したいと思う。

そして、
一人でも多くこの出会いを体験してほしいと思っている。


そんなことを思いながら、

僕は今日もまた、

みなさんと同じ

「あの存在」を内にいだきながら、


僕という「あの存在」の一面を生きている。


誰もが孤独でもないし、特別ではない。

それぞれ進む段階やスタイルに違いはあれど、

みーんな神の子なんだ。


yogi-neo  2010.12.27)

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