すべてが一つとなる体験(その1)~バイブレーショナル・ライフ


tomy20110308.jpg2009年12月20日、日曜日の午前8時35分、私はいつものように、主催している気功クラスに向かっていました。

長い乗り換えの通路を抜けて、都営新宿線の小川町駅ホームに下りると、いつものように、そばのベンチに腰掛けました。

そのとき、突然に、それは起こりました。

私の視界には、向かいのホームと、座る人、歩く人が見えていました。

しかし、なにか心地よい感覚とともに、自分と他人とを隔てていた境界線があいまいになってきました。ただならないことが起きている、と感じましたが、そのままそこに居続けました。

ふと下を見ると、ホームのコンクリートの温度や質感が、自分の体のようにリアルな感触で伝わってきました。自分の体の領域が広がっていくような、そんな感覚でした。

向こう側を見ると、人が歩いていました。それもまた、自分の体の一部として感じられ、しかもそれがなんとも気持ちよい感覚でした。

くっきりとした明るい色合いの、向かいのホームのベンチが自分の体のように感じられ、ホームの下に横たわる、すすけた柱も、コンクリートに付着した汚れさえもまた、自分の体の様でした。

視界に入るものすべてが、自分の体として感じられ、境界を失った体には、これまで味わったことのないような快感が突き抜け続けていました。喜びの余り、涙する、という言葉がありますが、余りにも唐突で、あまりにも大きな喜びだったため、涙の存在を忘れていました。ただそこにいてその感覚を味わっていました。

この瞬間が訪れるのを、自分はずっと待っていた、と、感じました。

目の前の光景は、とてもフラットで、あらゆる輪郭がくっきりとしていました。以前、見たことのある、光に満ちた景色とは違う、もっとはっきりとすべてが自分の近くにあるような、そんな感覚でした。

光はすべてのものを平等に照らしている、と思いました。

(つづく)

富田しょう


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