3月11日に起きた東日本大震災で亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。そして、今なお苦しみや悲しみとともに生活をされている被災者の方々に一刻も早く平穏が訪れますよう、心から願っています。
私たちは、量子的なフィールド、エネルギー的な波や粒子のようなもので、密接につながりあっています。自分の肉体はもちろん、目の前にある机や、椅子や、道端に落ちている木の葉でさえも、すべて、自分と、その周りを取り巻く人たちとの関わり合いの中ですべての事象について物理的な法則を取り続けるという意図に従って、それらを具現化しているのです。
私たち自身が、毎日、具体的な意図の投影という形で物理的に自己を体現しているとすると、こうして生きていることそのものが祈りである、と言えるでしょう。
朝、目が覚めてから、夜に眠りにつくまで、時には眠りについてからも、私たちは様々な祈りとともに時を過ごしています。日々、数々の祈りを心の中であるいは実際に口に出して唱え、いくつもの願いを叶えながら、生活を送っていることを思うと、自然と感謝の念が沸き起こってきます。
さて、物理的な世界そのものを定義している祈りと、すでに構築された物理的な世界で唱えられる祈りとでは、違いがあります。それを区別するために、私たちが住み、認識している世界を定義している祈りを、ここでは「原初の祈り」と呼ぶことにします。
「原初の祈り」は、今、私たちが生活している様々なフィールドを定義しています。時間もその中の一つです。一定の方向に、等間隔で進む時間という概念は、「原初の祈り」の中で定義されています。物質の振る舞いや物理的法則のようなものは、「すべて原初の祈り」に含まれていますが、これらと時間のフィールドとの関わりはとても深いものです。時間の概念が存在しなければ成立しない物理現象は、多く存在します。
では、私たちが、今、目の前にある現実に、働きかけようとしたとき、どのように意識を方向付けることで具体的な現象の変化をもたらすことができるのでしょうか。
「原初の祈り」によって出現した世界の中では、祈りの力は、限定されています。祈りの力を真の意味で解放するには、「原初の祈り」が唱えられた時点より前の状態に立ち返らなくてはなりません。
私たちの魂は、「原初の祈り」を唱える前の状態を知っています。
言い換えると、私たちの魂が、祈りによって今の肉体的、物理的な世界を定義しているのです。
ですから、今の現実を定義する前の状態まで戻って、そこから、新しい祈りを唱えることで、今ある現実が変化する可能性が生まれます。今の物理的な世界で多くの現象に関わっている、時間の概念さえも覆す可能性が生まれるのです。
(つづく)
(富田しょう)
コメントを残す