瞑想インスピ録 「自然の理」~パート2


neo20110302.jpg前回自身のコンパスとして、
自然か不自然かを判断することが大切と書いた。

物質的にも精神的にも、

成長(進化)の梯子を早く登ることは出来るが
「段」を飛ばすことはできない。

それは自然の理に反する=不自然となる。

当然のことながら、
不自然なことにはだいたい訳があるので

気をつけた方がいい。

例えば、寛大さを身に着けようと哲学を学び
知識と理論で納得して、
瞑想し神秘体験までしたとしても、

コロッと簡単に寛大にはならない、

もし楽に大きな変化が出来るとしても、
それが最善ではないかもしれない

それにはやはり、失敗も含めた経験の積み重ねが
必要だと思う。

それが物質界の存在意義だろう。

時には、割に合わないほど
小さな一歩しか進まないかもしれない。

でもその一歩でいいんだ。

それが自然なんだ。

少しづつ少しづつ理想に向かって進化する。

だから、
失敗するたびに、

自分はなんてダメなやつなんだなんて
思う必要はない、

宇宙はきっと、段を飛び越えて一気に聖者になるといった不自然は望んでない

聖者はあらゆる失敗と苦難と極限の辛さの長い時間を通ってきているハズだ

他にも裏技的手段はあるかもしれないけど、

常に、一番自然な進化は一番近道だということ。

もし出来るだけ早く進化の梯子を上りたいのなら

自分の心の声に従って行動あるのみ。

失敗や苦しみをも歓迎しながら、
それらを糧にしながらどんどん行動して、

じゃんじゃん乗り越えていくしかない。
経験を積み重ねていくしかない。

決められた時間で必要な経験をするためには
失敗を長々と後悔している時間はない。

それはまるで、
1年ぶんの経験を1ヶ月に凝縮するようだ。

最近時間の凝縮をとても強く感じる
のは僕だけだろうか?

もしみんなが同じくそう感じているとしたら、

今この時代、
宇宙は人間に対して、

より大胆なアクションと濃密な変化を
求めているのではないだろうか。

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(つづく)

Yogi-Neo


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