「今」という瞬間から遠ざかる良いエネルギーと悪いエネルギー その2

前回のつづき


tomy20110225.jpgエネルギーに関して、このような問いもよく見受けられます。
「今、この場所(またはこの人)のエネルギーはどうですか?良いですか悪いですか?」
このような問いが発せられると、よほどの必然性がない限り、その時点でのフィールドに、その対象を「今」という瞬間から遠ざけるからくりが仕掛けられてしまうことになります。
まるで、数多くの過去と未来を握り締めようとする手が何本も伸びてきている状態ともいえます。

このときに必然性のある問いとなりえるのは、見極めたいひとつの状態の前もしくは後に比較しうる状態があり、2つの状態の間に何らかの出来事がある場合です。比較しうる2つの極が同程度の意識のテンションで感知され、判断される場合は、あらかじめ「今」から離れることを想定していると考えられますし、その後、また「今」というバランスに戻っていくであろう事が予測されます。

人間は、日々、様々なことを思考し、いろいろな判断を行って生活しています。判断することは、生活上、必要な行為です。しかし、思考も、判断も、その都度、人間のリソースを使っています。

もし、「今」という瞬間を、時間的な流れの中で定義しようとした場合には、思考し、判断することは、必要不可欠なプロセスであり、結果として、良いエネルギーや悪いエネルギー、もしくはどちらでもないエネルギーが生じることとなります。

そして、「今」だけにフォーカスして、それ以外の場所に向かわず、そのような意図も一切用いないとすると、エネルギーは、ただのエネルギーであり、良いか悪いかということを判断することは不可能になります。

つまり、逆に考えると、判断しないことを選ぶことによって、「今」という瞬間に立ち返ることがより容易になる、ということがいえます。思考と判断は、本来、一続きのものとして存在していたのですが、判断を伴わない思考、というものも、あり得ます。判断をせず、さらに判断を伴わない思考をも手放すと、もれなく、「今この瞬間」がついてくる、ということになります。

良いエネルギーも、悪いエネルギーも、この世界には存在します。限定された環境下では、それが重要な意味を持ちます。それ以外の環境では、良いエネルギーも悪いエネルギーもなく、流転するものであり、再び省みられることもありません。

「今」という瞬間にとどまる限り、エネルギーに良い悪いの区別はありません。普段、呼吸をしていて、「呼吸している」と感じないように、「エネルギーがある」ことさえ、感じないかもしれません。「今」は、そうした意味で、あらゆる理知的な感覚を超えており、自分が存在するこの世界のすべてを包含しているといえるのではないでしょうか。

富田しょう


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