メッセージ 7つの光の評議会 第3章

george1.jpeg私は宇宙という庭一面に私の「光」の種子を撒くが、どれが星になるにふさわしいか、どれが私の写し身たりえるかを決める。


すべての種子が私という「光」であるが、私の業という運命の中でそれぞれが個性的な模様を織り成す。

ばら撒かれた私の種子のうち、中には不毛な土の上に落ちるものもあるが、差別というものは、どれが実を結ぶか知っていることの内にある。だから私は、私の「叡知」の本質に、すべての種子がすぐに成長するような「生命」の息吹を吹き込みはしなかった。

むしろ私は種子を選んで、無限の時の中のあらゆる瞬間に私自身を表現できるようにした。そして私の種子は私の「愛」と「光」の中にあって純粋であるとはいえ、すべてが成長して完全な実をつけるわけではないと知っている。なぜなら、種子それぞれの上に私は個性と、選択の自由とを与えたからだ。

おお人よ、死すべき存在よ。私の欠片をばら撒いて私自身を表現する、個性をもたらす私の「ワンネス」よ。私は二極のバランスの中ですべてを創造し、私は中心で分離させている。私は二つの性を作り、極を分けることで、私の右と左の強さを試している。人は私の愛の表現をさらに分離させることを選択した。人は私へといたる道を分離させることを選択した。人は私という表現の中に自意識を持ち込んだ。それでも私はなおバランスを維持しており、力の分岐点を中心に据えている。

もし誰かが私の右手の上で愛の中に座すならば、私は等しく左の手にも愛を乗せ、均衡を保つ。私はお前という存在の表面に防壁を張り、私の部分のすべてを慰める。私は私の思考に似せてすべてを与えたが、多くが運命へと導いてくれる「光」の中に広げられている小道へ誘うドアに到達することが出来ない。そして暗闇の中で道を見失い、探している――私はひとつたりとも欠片を失うことなく、すべてを救済し、もう一度姿をあらわす。私は汝の「魂」であるがゆえに、おお人よ、私は「光」であり、「暗闇」でもあるのだ。私の右の「光」がすべての永遠へと広がるなら、私は「暗闇」を携えて「光」を押し戻し、お前にもそれとわかるものにしよう。

『7つの光の評議会』

ジョージ・ヴァン・タッセル著

西村理 訳)



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