最近、知人や友人から、明晰夢や、同じ設定の場所にたびたび訪れる夢の話をよく聞くようになりました。毎回、列車に乗ってどこかの世界に旅立っていくような夢や、まったく別の星で生活している続き物の夢など、本当に、その世界はバラエティに富んでいます。
こうしたことを日常的に見聞きし、また自分でも断片的ながら同じような体験をしているうちに、次元の上昇に代表されるアセンションという現象は、こうした別世界や並行現実の認識が集合的に明らかとなり、より自由にそして意識的に次元間の移動を行うようになるという意味で、『多次元的意識の拡張』と形容できるのではないかと、そんなふうに思うようになりました。
大昔、多くの人が、海の向こうには何もないと信じて生きていました。今では、海の向こうには別の国があり、さらに向こうへとどこまでも進んでいくと自分の場所に戻ってくることが知られています。同じようなことが、今、意識レベルで起きています。
これまで、世界とは、今生きているこの物理的な世界だけであると教えられ、考えられてきましたが、実際には、もっとたくさんの世界が、同時進行で、あるいはこの世界で定義する時間や空間を超えたところでいくつも存在しているということが、だんだんと明らかになりつつあるようです。実際に、そうした世界とのつながりを持っている人たちは、はるか昔から、そのことを物語で伝承したり、文書に残したりしています。とりわけ、南米のコギ族、オーストラリアのアボリジニなどは、一族全体が集合的にその概念を有してきた例として知られています。
こうした民俗的伝承に見られるような、全体性を伴った世界観が示してくれるのは、この世界で起きていることや自分が行っていることが、別の形で、非物理的な世界にも少なからず影響を与えているということです。意識がこの世界の空間になにかしらのバイブレーションを投げかけると、それは別の世界にエネルギー的に影響を及び、結果としてなにかが起こることがあります。それは、まるで、泉のほとりから水面に石を投げ込むと、波紋が徐々に広がって、対岸にまでさざ波が打ち寄せるといったようなことと似ています。
そんなことを考えていると、自分の発するバイブレーションや行為が、ずいぶんと荒々しく、水面をかき立てているように思えて、猛省してしまいますが、心配するには及ばない、とも思い至りました。思うに、魂は全体性と調和に満ちていて、かのような荒々しい水しぶきやバイブレーションをも融和するような多次元的な世界を常に包含しているのでしょう。
まだあまり知られていない、異なる次元の異なる世界は、自分にとって必要なときに必ず明かされていくと思います。それを今は垣間見る楽しみを得ているのは、この世界ならではの体験であるともいえます。今後も、さまざまな体験が自分に起こることでしょう。あらゆる多次元的な世界、そのすべては現実であり、また夢でもある、それゆえに今この瞬間を楽しむことができるのではないでしょうか。
(富田しょう)
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【info】富田しょうさんが『シュプール』2011年2月号に掲載されました
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