エピローグ  7つの光の評議会 第2章

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 おお人よ、私は唯一であるが、また多くでもある。汝らそれぞれの光の中心であるが、汝らは私の一人でもある。私はあらゆる感覚に住まう。あらゆる表現に生きている。おお人よ、私は汝の動きなのだ。汝がするすべてのことを考えるとき、汝は私に向かってそれをする。私の一部を汝が攻撃すれば、私は衝撃を感じるからだ。汝が愛の思考を投げかけると、私はお前の愛を吸い込み、それをまた投げ返す。怠惰な精神が汝に他者の評判を落とさせるなら、お前はただ私を思って頭を垂れるだけでよい。そうすればその報いとしてお前は謙虚になれるだろう。私はいつもお前とともにあることを知るが良い。どんなときも、静かに、目に見えないが、お前のどんな行いもともにし、お前のすべての思いを受け止めている。

 私は私自身を、お前を通して、私に喜びをもたらしてくれるような方法で表現するのが好きだ。喜びの小道の先には、感謝の心がある。私が汝らを通してワンネスを表現することを助けてほしい。そうすれば私は私のそれぞれの部分を中心にすえ、調和と愛のただなかで、私と汝らはひとつになることが出来る。そこには汝が表現していたような痛みや悲しみ、傷心を感じるものは誰もいない。

 私は生命の光を汝に与えよう。その光によって汝は私の行いを広げよ。その光は暗闇で打ちひしがれた者、困難で道を見失い私がそこにいることが見えなくなっている者たちに私の歓喜を感じさせることが出来るだろう。隣人を救い上げることで私がもたらした進歩をすすめよ。そうすれば私はありがたき感謝に表された表現を二倍感じることが出来る。

 私は静けさであるが、私の部分はすべて私の中で動いている。私の安息とは対照的に、動作は安らぎにはなれない。両極端が、人が踏み込めない境界を作り出している。私は限りないものであるが、人には私の中に個別に存在するという限界がある。

 私は人をそのように作った。人が私の部分として動きを通して私自身を広げるので、私は無限の静けさにいながらも限界のない存在なのである。

『7つの光の評議会』

ジョージ・ヴァン・タッセル著

西村理 訳)



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