プレアデスの7人姉妹より~両世界の境界ゾーンを越えて向こう側へ(その2)

jun0428_2.jpg訳:中村じゅん
Original Message

更に手放す

私たちの新しい人生は今まさに肉体的現実の中に再誕生しようとしています。そして今月はとてもパワフルな天のサポート活動(試練)によって、今”ある”事に対する最後の最後の抵抗を手放す機会を得ています。ちなみに、この苦悩に満ちた”過程”は永遠に続くのではないかという疑いまでも含めて。

4月は古いエネルギーである苦痛、怖れ、苦悩から離れ、天の愛という新しい周波数に移行するかどうかの最終選択を迫まられます。私たちの疑いや、痛みへの執着が新しい人生の妨げになるというわけではありませんが、私たちの望みは永遠に叶わないのではと信じる事で、わずかに空いた脱出口を見逃してしまうリスクがあるということです。


言い換えれば・・これから2011年の後半に突入するにあたり、より肉体的な統合段階に入ると、今”ある”事に抵抗したり、苦悩にしがみ続けることが大いに私たちの足を引っ張り、これからの日々、週々、月々の急速な発展において不必要な苦しみを生むということです。

だからと言って、今の不快な状況を無視、避け、抑圧しなければならないということではありません・・・この不快感は実際感じているのですから。手放すべきお荷物は、この不快感に抵抗する事です。言ってみればそのままで”ある”こと、”中性(ニュートラル)でいること”です。・・・プレアデスの見えざる者たちは、サポートがある今こそ完全に真の自分になる時だと私の脳にたたき込んでいます。今こそ残った付着物を手放す時だと・・アセンションの恐怖、あ、いや間違った、アセンションの過程をも全て。

ここで一言メモ:苦しい部分をできればオブラートに包んで欲しいと願っている方々へ・・私は、どんなに辛く、暗いどん底にいたとしてもユーモアや少しのおふざけで人生は単なるゲームである事を思い出す事ができ、アセンション”過程”にしがみつかないで、継続的に距離を置く事ができ、結果的にヴェールに穴をあける事ができるのだと思います。自分たちのつくり出したドロドロを掘り起こし、その恐ろしさを笑い飛ばす事でそれを手放す近道ができます。ユーモアが私の選ぶ最も有効な薬である理由は、笑うという事が”今”に存在し、統合し、超越するための最もパワフルな方法だからです。自分のドロドロに長年はまっていた経験者として言えるのは、この重苦しい旅路の対策として、軽い笑いのジャブを入れる事はどんな呪文や祈りよりも強力な効果があると言うことです。

更に更に手放す

前回のアップデートで、今月4月は境界ゾーンであると述べました・・・いわゆる切り替えゾーンで、新しい真実と人生を統合させ、自分を完全に過去から切り離し、完全に今にいながら未来を共同創造するかどうかの最終選択を迫られています。この期間は一度に2つの世界を体験するという、とても奇妙な期間です。

両世界に足を突っ込んでいるので、同時に2つの世界にアクセスできます(ただし筋肉増強剤を使ってですが)。今あなたは壮大な飛躍の寸前で、相対する感情のど真ん中にいます。心配したり平和な気持ちだったり、わくわくしつつ冷静だったり、疑いもあり希望もり、孤独でも繋がっていたり、具合が悪かったり良かったり、混乱しつつも平静だったり、退屈であり高揚している・・・といったように。

思考は完全にトリップしているのは私たちが向こう側へ渡る途中だからです(三途の川を渡っている最中というべきか)。私たちは円の終わりに来ていて終わりが始まりに繋がっています。死が再誕生と同じであるように、その両方を感じているのです。この転換期というのは肉体的な死期ととても似ています。特に、全ての執着を残さず手放す必要があるところが・・・。

3月は私にとって大切な叔母の”あちら側”への旅立ちに立ち会うという機会を与えられました。付添い人というだけでなく、無条件の愛の大使として彼女の完全な変身のための神聖な空間を提供し、生まれ変わるための助産婦、卒業式のガイド役を任されました。この美しい経験とそれがどう私を変えたかという事については永遠と語り続ける事ができますが、最も私の印象に残ったのは、再誕生の旅路にいる私たちにも共通してハッキリと言える事で、私たちが何層もの執着物を手放し、肉体をもったまま真の自分が出てくるために必要不可欠である、内なる力に繋がるという事です。 

私は叔母が一生をかけて作り上げてきたものを手放すという魂の美しき降参を目の当たりにしました。自分を守るために一生懸命作った壁も、彼女の疲労とはかなさの中に溶けていき、最後に残ったのは純真さと、内側から放射される柔らかくも驚くほどパワフルな愛でした。それは彼女の一生をかけて完全な姿を現わしたのでした。

次は私が彼女を手放す番でした・・とても痛みました。古い人間的な痛みでも失う痛みでもなく、いわば広がりの痛みというか、あまりにも大きな愛を受け取る痛みというか、あまりにも神聖性に近づきすぎて細胞が耐えられなくなったような痛みでした。

何より、叔母の旅立ちは内なる旅路を体現したもの


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