1月 21

批判的想念と幸福のバランス


tomy20110121.jpg批判的想念とは、ある事柄についてそれを批判的な態度で判断し、反応するときに発せられる思考的なバイブレーションです。

日常には、ときに理不尽なことがあったり注意を促したくなる事柄や、怒りを喚起するものなど、批判的想念を伴う感情が沸き起こることがあります。

批判的想念がひとつ芽生え、それを表出し、その状況に批判的なバイブレーションを投げかけると、その人の幸福の度合いは、下がってしまいます。これは、批判的想念が生じたときに、その環境、状態に対して、「満たされていない」というバイブレーションが生じてしまうためです。批判的な態度をとるということは、それと引き換えに、自分の幸福を手放していることであるといえます。

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1月 20

ステップアップ、そして第一歩 ~プレアデス高等評議会より~(後編)


jun20110120.jpgチャネラー:Lauren C. Gorgo

特にここ3カ月の成長痛とも言うべき痛みには、それ相応の報酬があります。2010年を通して不要なものを容赦なくはぎ取られた私たちは、2011年はカツラを取り、本来のその姿を表現します。それがどんなものかは私たちには予想不可能ですが、元に戻る事はありません。本来の自分でいる事以外に選択肢はないのです。

本来の自分になろうというエネルギーの流れ、新年にかけて期限切れのドロドロをクリアにしようとする勢いはすさまじいものでした。今はステップアップする時です。

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1月 20

ステップアップ、そして第一歩 ~プレアデス高等評議会より~(前編)


jun20110120_1.jpgチャネラー:Lauren C. Gorgo

“先駆け隊の皆さまが集団的に本来の光の存在へとなられた事を祝福いたします。2011年はスピリチュアルな役目を持つ存在たちが新しいパラダイムのリーダーとして活躍します・・・新しい日に向けて、人々は皆さまの後に続きます”
―プレアデス高等評議会(以下PHC)より

新年おめでとうございます!

新しい時空の先駆け隊、パイオニアの皆さま、よくぞ無事に集団的としてここまで来れましたね(足の指、手の指はそろってますか?笑)。

時間が日に日に圧縮されているせいか、今までの旅を振り返ると不思議な感じがします。今までの10年が異様に早く過ぎたように感じたり、恐ろしく遅かったようにも感じます。昨日が過去世のように感じる半面、一瞬で過ぎたかにも思えます。

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1月 19

ある日の瞑想録ー宇宙の果てと始まり その1


neo_20110119.jpg「宇宙の果てと始まりとその素は、どうなってんの?」

幼い頃から、
人は死んだらどうなるの? とともに
二大の疑問の一つであった、

ただ、誰に聞いても教えてくれず、
そんなもんお前の頭で考えても無駄だ論が多数を
占めていたので、

確かに無駄だろうけど、
そんな無駄なことが
気になってしかたがなかった。

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1月 18

21世紀、絶対に愛されてしまう方法(中編)


lee20110118.jpgドラえもんは生きている

さて、今回から本格的に〝本質的に愛されてしまう方法〟を紐解いていきたいと思います。

まずは愛されているという状況を、簡単に理解するために、多くの人々から実際に愛されているものを例に挙げさせていただきます。そう、例えばマンガ、アニメキャラの「ドラえもん」などはいかがでしょうか。

キャラクターとしてのドラえもんが長きにわたって愛されている理由はなんでしょう?四次元ポケットから次々と出てくる秘密道具の面白さや、曲線を基本としたキャラクター造形、そしてのび太くんの成長を常に願い、サポートし続けるその心意気……。これらの要素が、人気の秘訣なのかも知れません。

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1月 17

ご霊石の波動を感じるパワースポット~鹿島神宮の要石 その1


kashima_01.jpg
今回は『鹿島神宮』の要石をご紹介します。

茨城県鹿嶋市にある『鹿島神宮』は常陸の国一ノ宮で、全国に600ほどある鹿島神社の総本社。

神武天皇の時代・紀元前660年頃に創建されたと伝えられる由緒正しい神宮です♪

ご祭神の「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は、古事記や日本神話に登場する神様。

乱れた国を平定しようとする天照大御神の命により、香取神宮の「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」と共に、出雲の大国主神のもとへ国譲りの交渉に遣わされた武甕槌大神。平国(くにむけ)の剣によって国家統一を成し遂げた、武芸の神様なのですって。

武芸や政治のほか、旅の安全や縁結びのご利益が有名で、ほんとうにたくさんの方が訪れます。

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1月 16

はじめに(後編) 7つの光の評議会2

george.jpeg 現代社会において大勢である唯物主義こそ、もっとも宗教的でない人々ですらも、何かを崇拝したいという欲望を持っていることの確たる証拠だ。奉っているのは、モノだ。唯物論者は、非科学的な社会の人々よりも自分達が進んだ人間であると考えているようだ。他方、熱心な宗教主義者はといえば、自分の神々しいものの見方こそが正しいと信じて疑わない。実際のところ、公平に見ればどちらも間違っているし、どちらも正しい。


 私がこの本で試みているのは、その中間の視点だ。私がどちらかに偏っているとわかれば、読者はそれを加味しておそらく当人自身の傾向にしたがって独自の意見を持つことになるだろう。何かを本当の意味で理解するためには、逆の視点から自分の意見を検証することが一番よい。

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