<<二元性から離れるための肉体的プロセス>>
まず、ゆったりとした気持ちで、足を肩幅に開いて、立ちます。膝を緩め、重心を踵寄りにして、体幹と首をまっすぐに起こして、目をつぶります。両手は体から離して下にたらし、その重さで肩が下に下がっていくようなイメージを保ちます。
呼吸・意識によって肉体感覚から離れていく
呼吸に意識を向け、リズムが緩やかで安定してきたら、体の、左右、両手の平に意識を向けます。このとき、両手の平が、自分の意識の中心から、どれくらいの距離にあるかを推し量ります。そして、できる限り左右対称になるように、位置や傾きを調整し、筋肉のテンションの具合も、左右、同じくらいにそろえていきます。左右が大体そろったら、もう一度左右の手の平に意識を集め、そして、徐々に力を抜いていきます。その形を保持するための最小限の筋肉を使って、後はすべての力を抜いてしまいます。そうすると、ふわっと、両手の平が少し浮くような、無感覚になるような感触が出ることがあります。このとき、両手の平の感覚は薄れ、残るのはその真ん中にある、自分の意識の中心だけとなります。
最後に残るものは、自分の中心のみ
同じようなプロセスを、今度は、自分の両肩で行います。両肩の力が抜けたら、今度は膝でやってみます。それが終わったら肘、手首、親指、股関節、と、感じられる限り、左右の体の部位を意識してバランスを整えて、中心にだけ意識が残るようにワークを続けていきます。指の関節や顔の各部位についても同じようにワークします。左右で認識した部位が30箇所を超えると、体の感覚は薄くなり、体の中心にだけ丸い心棒のようなものが通るようになってきます。ある程度プロセスが進んだら、今度は、体全体に意識を集め、右側と左側で、空間的な配置や筋肉の使っている度合いを左右でそろえていきます。7、8割そろったら、左右同時に力を抜いていきます。全身が、整合性という名の大きな船に乗って船出したような気持ちで、体が本来持っているバランス感覚が最適な力の抜け具合をもたらしてくれるように、すべてを委ねます。こうして、左右と認識できる体の部位が徐々に消えていきます。そして、最後に残るのが、自分の中心です。
意識が二元性から自由になる
このプロセスを通じて、意識と二元性の乖離が起こります。つまり、意識はひとつの意識として存在することも可能であり、意識から外側への働きかけを通じて二元性を生じさせることも可能であるという、選択肢が現れるのです。これによって、人間は二元性から解放され、自由を得ることになります。二元性は、この世界になくてはならないものです。ですが、それを選んでも選ばなくてもよいという選択肢があるとき、人間の意識はより一層の自由を得て、輝きを増すのではないかと、そんな風に思います。
(富田ショウ)
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