3月 06

欲望と休息・宇宙の永久運動 7つの光の評議会 第1章

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 「神」はその無限の叡智の中ですべての被造物が永久に動き続けるようにした。「神」は被造物を集めたり、互いに引き離したりすることでバランスを維持している。
 「神」は”A”光線を1平方センチメートルあたり1850個生み出した。陽極の、男性性の、秒速186,000マイルの粒子の集まった物質にした。
 ”A”光線の反対に、「神」は”B”光線を創造された。”B”線は1平方センチメートルあたり1257個である。秒速202,000マイルで、”A”光線と90度に交差している。極性は陰極であり、性別は女性、受容的である。

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2月 27

核爆発は「復活」である 7つの光の評議会 第1章

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 水素を生成するためには、二つの光線のどちらもが、水素のスペクトルと同じ振動周波数である必要がある。個々の物質の振動周波数は異なるものである。原子になる前は、水素粒子は光線の中で独自の周波数で振動しているため、他の物質の周波数と混ざることはない。

   このことが水素原子をあらゆる点において種のような状態にする。ただし、対極にある場合は例外である。反対の属性を帯びているとき両者はひとつになり、完全な対極であるならば、”G”光線は両者が融合するように誘導していく。

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2月 20

原子はミクロの太陽系である 7つの光の評議会 第1章

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 核エネルギーは、殺傷力を持っている。その放射能は、爆弾を投下せずともあなたを殺すことが出来る。商用のエネルギー利用でも爆弾同様に致命的なものである。
 惑星上で核分裂や核融合、あるいは同位体におけるそうした反応をするなどということは、「神」が意図したものではなかった。「神」は分裂と融合の原理に則った反応を行う場として太陽を創造された。「神」は、惑星を太陽から十分に離れた場所に置いて、生成される廃棄物の悪影響を受けないようにした。
 人間が太陽の原理を惑星上で使用することは、「神」の全知の創造的な原理とは真逆の方向にあるものなのだ。

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2月 13

人類を見守る存在 7つの光の評議会 第1章

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 この「文明(シヴァ‐リゼーション)」(シヴァとはヒンドゥー教の破壊神)を持った人間は、破壊力のある科学を発展させ、危機的な状況になってしまった。国家は核兵器を持ち、地球上の全生物を消し去れる力を手に入れた。イヴという動物種が、権力を我が物としたのである。

 これを見ていたアダム人たちは、地球の大気圏の薄い膜の汚染を「無効化」する船団を投入した。「グリーン火球群」と呼ばれるものである。この対策により大気中の放射線の濃縮を緩和することができた。アダム人たちは彼らの人種の一部の人々が地球上で破壊のサイクルを開始したことに責任を感じていたのである。今あなたには選択肢がある。あなたもまた創造者アダム人種として建設的な役割を担うのか。それとも、物質的なヒューマンとしてイヴの末裔の持つ破壊的影響に目を向けるのか。

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2月 06

第1章 人間は神と動物の混血である 7つの光の評議会

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 それから一連の創造のまとめがくる。人々が混乱に引き込まれていくのはこのあたりからだ。はじめにいた創造主が本筋から消え、人類の前に、主なる神(ヘブライ語で言う、エホバ エロヒム)が姿をあらわす。この存在は、実はアダム人種の一人であり、宇宙船から地球に降り立って、植民地を作っていたのだ。このアダム人種の人々は、初回地球に訪問した際、彼らの人種の女性を同乗させていなかった。

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1月 30

第1章 ミッシング・リンク 7つの光の評議会

george.jpeg第1章 ミッシング・リンク※


「はじめに神は天と地とを創造された(創世記第1章第1節)」。ここに記されている創造は、宇宙全体の継続的進化発展の一部の描写でしかない。過ぎ行くどの瞬間にも、新しいものが創られ、新しい命が生まれ、再生の環を作り続けている。
 上記のとおり、神は地球より先に天国を作っている。天空に存在するこれら天国に、神はすでに人を創造していた。何千年も前、地球がまだ人が住めるような環境ではなかった時代から、他の多くの太陽系の惑星上や、同じくこの太陽系の惑星上には、すでに人が存在していたのだ。

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1月 23

はじめに(詩) 7つの光の評議会

george.jpegおお人よ、お前は私の法を免れる法を作り上げてしまった。


混乱、混沌、そして戦争は、すべて人間自らが思い、想像したものの産物だ。


光があってはじめて、真実となり、

真実があってはじめて、知恵となる。

知恵があってはじめて、知識となり。

知識があってはじめて、人生となる。

知識を通じてのみ、人間は知恵を行いの中に表現できるというのに。

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1月 16

はじめに(後編) 7つの光の評議会2

george.jpeg 現代社会において大勢である唯物主義こそ、もっとも宗教的でない人々ですらも、何かを崇拝したいという欲望を持っていることの確たる証拠だ。奉っているのは、モノだ。唯物論者は、非科学的な社会の人々よりも自分達が進んだ人間であると考えているようだ。他方、熱心な宗教主義者はといえば、自分の神々しいものの見方こそが正しいと信じて疑わない。実際のところ、公平に見ればどちらも間違っているし、どちらも正しい。


 私がこの本で試みているのは、その中間の視点だ。私がどちらかに偏っているとわかれば、読者はそれを加味しておそらく当人自身の傾向にしたがって独自の意見を持つことになるだろう。何かを本当の意味で理解するためには、逆の視点から自分の意見を検証することが一番よい。

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